「離婚したい 」
結婚して12年、私は初めてその言葉を口にした 。
今日は次男の10歳の誕生日。
子供2人が10歳になるまでの大変な時期、病気を抱えながら 私は頑張ってきたのだ 。
あと10年、子供が成人するまで あなたが頑張ればいいじゃない。
「結婚」とは、健やかなる時も病める時も 、共に助け合い生きていくことだったよね。
事の発端は、 ある話の流れで夫が 私に対して
「極論、俺が飼ってるみたいじゃん 」
と言ったことだ 。
雷に打たれたかのようなショックが身体を 駆け抜けた 。私は力強く 冷静に「わかるよ 」と言った。夫の立場ならば そう思うであろう 。夫は私に働いてほしいようである。 働かないのなら、もう少し 主婦業を頑張ってほしいと言う。
それもわかる。 でも残念ながら私は病気なのだ 。心身ともに 強いあなたには わからないのだろう 。
「俺が飼ってるみたいじゃん」
その言葉は、 じわじわと私を追い詰めた 。
調子の悪い時期であったなら今、生きてはいないだろう。 出逢ってからの20年 、傷つけられてきた言葉の数々を思い出す 。あまりにも深く ぱっくりと傷口が開いていて 気づかなかった。それはもう塞ぎようのない大きな穴となっていた。
そこには何の感情もない。
飼われている関係性で一緒にいたいとは思わない。それなら、ひとりのほうが気楽である。デリカシーのない夫の言葉に傷つくこともないし、激鬱期の惨めな姿を子供に晒すこともない。どうせ飼うのなら、もっと優秀な女性を飼えばいい。
そんな思いを抱えながら 、子供のお誕生日会の準備をする。夫側の家族を招いて お祝いをするのが恒例行事となっている 。私にとっては、かなりの負担になるときもある。
「次男ちゃん、お誕生日おめでとう 」
ケーキのローソクに火を灯し 電気を消して、皆でバースデーソングを歌う。火を吹き消し プレゼントを渡され、満面の笑みを浮かべる 次男。
口いっぱいに ケーキを頬張って 美味しそうに食べる 次男を見て、 涙が溢れそうになった 。
私は今朝、 初めて離婚したいと言ったよ。
君のことより、何よりひとりになりたいと
思っていたよ。
映画のように幸せそのものであるこの風景に 、 夫は捨てられても夫以外の家族は捨てられないと思った 。
この人は家族に助けられている 。
それに全く気づいていないお殿様なのだ。
その後、会話を交わすこともなく丸2日が過ぎた。
子供が寝静まった頃
「話がしたい」と 私は言った 。
夫は 気だるそうな様子で 話し合う体勢をとった 。私は私の意見を淡々と述べ 、その間、夫はただ黙って聞いていた。
「離婚について、どう考えてますか」
と尋ねた。
「ずっと鬱状態だった 。会社の人からも 『テンション低いけど、どうしたんですか?何かあったんですか?』 って聞かれた 。」
意外な言葉が返ってきた 。
私の言った「離婚したい」はこの人を鬱状態にするほどのダメージがあったのだ 。
「2日間、離婚について 何か考えた? 」
もはや泣き出しそうな子供のような顔をして
「そんなコト、考えた事なかったから …」
とうなだれた。
「私も考えたことなかったよ。
『飼ってるみたいじゃん』は
それくらいショックだった。」
そう言いながら
笑いがこみ上げてきそうになった 。
この2日間、考えていたことなど
もうどうでもいいように思えてきた 。
ひとつのことを思い詰め、最悪の結論に至りやすいネガティブな私もどうかしている。
病気が原因で弱気になり、言いたいことも言えずにいた。言いたいことは、言葉を選びやんわりと笑顔で伝えストレスを溜め込まないことだ。
ひとまず、第1次離婚騒動も収束を迎え
いつも通りの朝がきた。
食卓に並んだポテトサラダを
口にした次男が
「人参が腐ってる 」と言った。
「え?何言ってんの !?」
それを見ていた夫が
「デリカシーがないって、こういうこと?」
…少し違うような、そんなような。
次男はポカーンとして
「 俺、何か悪いこと言った?」
とでも言いたげである 。
「悪気はないんだよなぁ 。 DNA なんだよ 」
「じゃあ、あなたは義父さんから ?」
「そう 」
これからも私はデリカシーのない夫の言葉で 傷つくことがあるだろう 。そして、寛解はしても完治することのない病気持ちの私が、迷惑をかけることもあるだろう 。
それでも、こんな私と 離婚など考えた事もないと言ってくれるこの人とあたたかい家庭を築いていこう。
「離婚」という選択肢もある。
その発見は
なんだか少しだけ
私を生きやすくしてくれた気がする。